Zero-Alpha/永澤 護のブログ

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Hup

2014.9.21.於 六本木国際文化会館:HUPO(Human Potential Institute) 研究会における落合仁司氏への質問とコメント

[1]まず、第i個人の状態が原則的に自然数で(も)数えられる(相互分離同定可能な)ユニットであること、またその「状態」がいわゆる「物理的状態(物理学の観測対象としての状態)」とは異なり、物理学的な質的差異が捨象されるより抽象度の高いユニットであること、したがって物理学における三体問題(以上の「多体問題」)がここでは問題とはなり得ないことを確認した。
[2]また、上記に補足して、原則として物理学的な質的差異が捨象されるのであっても、数学の社会理論への応用を考える落合氏の場合におけるように、ある局所的な微分形式としての「状態」が任意の状態ではなく「個人の状態」であることを定義するための内包(質的内容)上の定義要素として、Xi[a,b,c]の[a,b,c]を、仏陀以来の「仏教」(という近代語を慣例上用いるが)における定式に即して、Xi [身(身体的動作の様態)、口(言語行為の様態)、意(意識活動の様態)]とすることを提案した。
[3]落合氏が応用する「ストークスの定理」の意味、すなわち、『n-1次元(境界)社会における行為n-1形式の積分がn次元社会における行為n形式の積分と等しい』⇔『社会(「個々の行為:状態変化=局所的な微分形式」の積分としての「大域的なn次元多様体」)の規模がどう変化しようと社会と行為の関係性(積分)自体は不変である』を確認した。
[4]その上で、このテーゼと仏教哲学との関連性に着目し、上記「ストークスの定理」を、仏陀以来の「縁起性」(相互依存性)の(『般若心経』に代表される)テーゼ:「色即是空」=「空即是色」、すなわち、「縁起性」あるいは「空性」(現象世界それ自体あるいは現象世界における一切のものには「自性=自存的・実体的な属性」がないこと、すなわち「無自性」であること)が、「そのままで現象世界の多様性を産出する原理となること」として解釈し得ることを主張した。言い換えれば、
[5]上記「色即是空」は、「行為即構造」として、すなわち「相互行為が(個々の行為がその相互関係性において)生成すれば同時に社会が(相互関係性の総体=多様体として)生成されること」として、また「空即是色」は「構造即行為」として、すなわち「(相互関係性の総体=多様体としての)社会が生成すれば同時に相互行為が(個々の行為がその相互関係性において)生成されること」として解釈できる。
[6]さらに、落合氏によるストークスの定理の応用におけるように、いっさいの現象を数学的に形式化して考察することによって、現代宇宙論の「ホログラフィック原理」(全宇宙は宇宙の地平面上に描かれた2次元の情報構造と見なすことができ、我々が観測する3次元は巨視的スケールおよび低エネルギー領域での有効な記述にすぎないことを示唆する)が、世親(ヴァスバンドゥ)の「唯識哲学」と共通の舞台において焦点化されるという展望が開ける。
[7]世親は当初、仏陀以来の「縁起性・空性」を否定しあらゆるものの「自性」(自存的な属性)を肯定してしまった「アビダルマ仏教(部派仏教)哲学」の巨匠であったが、後に仏陀から初期大乗、龍樹を経て受け継がれていった「縁起性=空性」に立ち返りつつ、根源的な意識でありそれ自身もまた空である阿頼耶識があらゆる現象世界を「識」として生み出しているという唯識哲学を提唱した。
[8]すなわち、上記「ホログラフィック原理」と「唯識哲学」は、その根底において、『あらゆる個々の現象、そして現象世界の多様性は、「識」(その「空性=縁起性」における阿頼耶識の多様な現われ)という「2次元の情報構造」に翻訳される(ものとしての現象存在である)』という共通の立場に立っている。そしてこの立場は、個々の現象と情報構造の関係性を「個々の行為:状態変化=局所的な微分形式」とその積分としての「大域的なn次元多様体」として考える上記「落合=ストークス原理」、そして「縁起性=空性」の根本原理としての「色即是空」=「空即是色」として考えることができる。

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